朝の7時半、新幹線で東京に向った。座席のリクライニングを倒すや睡魔がやってきた。気が付くともう品川駅だった。まだ目的の仕入れ先に行くには時間があった。
ふらりと喫茶店に入った。新聞連載の「私の履歴」に目をやると『長嶋茂雄』とあった。なんとなく幼い時の友人に会ったような懐かしさを覚えた。 見出しは「野球との出会い」、1936年2月20日農家の二男二女の末っ子として生まれたと書かれている。 「あっそうか、長嶋さんと私は一回りしか違わないんだ。同じねずみ年か。」 文面を追っていくと、「三角ベース、日本独特のルールでセカンドがない野球が日本中ではやった」そして「母親のちよさんがボールを手造りで作ってくれた。」とある。 彼が立教大を卒業し巨人に入団したのは、わたしがまだ9歳の時だ。彼はすぐに我々団塊の子供たちの希望の星になった。彼のように私も野球の道具を買ってくれと父にせがんだことを今もはっきりと覚えている。 そして学校から帰ってランドセルを放り出すや、前の小学校の校庭に向かった。近所の仲間と三角ベースで日が暮れるのも忘れ「未来の長嶋」になろうと野球に熱中した。 家はとても貧しいかった。周りの友だちも裕福とは言えなかった。しかしみんな笑顔がいっぱいだった。長嶋さんが「野球選手になってお袋を喜ばしてやろう」と思ってたように我々子供たちもいつかは社会に出て沢山お金を貰って親を助けたいと誰もが同じ思いを持っていた。 『長嶋茂雄』・・・『三角ベース野球』・・・幼い日の思い出は今も輝きつづけている。 ありがとう。長嶋さん!
by shikanko
| 2007-07-03 20:42
| 社長ブログ
|
ファン申請 |
||